ぼくって、けっこう、「こういう教師は、辞めちまえ」みたいに、自分がやってもいない職のことを、わかったふうな口で、ディスっています。

 

そういうのを、はたからみると、「素人が、こっちの内情もしらないで、勝手なこと言うな」と、思われるんだろうな、と、常日頃から感じております。

 

ええ。ええ。

わかるんですよ。そうだろうなって。

 

そこで、ぼくの自論なのですが……

 

 

餅は、素人が焼いた方が、美味い

 

これ、けっこうあると思うんです。

餅に限ったことではありません。

 

たとえば、揚げ物の専門店があります。

揚げ物に、魂を注いでるのですから、そりゃあもう、おいしいのでしょう。

 

それ自体は、素晴らしいことなんです。

間違いなく。

 

ただ、商売だから、「なるべく多くの人に、受け入れられる味」を、作らざるを得ないんです。

 

その結果、「絶対美味しい味の揚げ物」が、できあがるでしょう。

ええ。そうですよね。

なんの問題があるんだって。

ええ。ええ。その通りです。

 

ぼくは、問題があるなんていうスタンスでは、話していません。

 

A「100人が食べて、100人全員が、10点中、8点を出す味」

B「100人が食べて、80人はゲロったけど、20人は、『この世のものとは思えないほど美味い』と叫びながら、気を失いかける味」

 

この違いを、話しているんです。

 

そうですね。

80人がゲロる味なんて、最低じゃないかって。

 

ほんと、そういうこと言う人って、想像力が足りないんですよね。

 

考えて下さい。

あなたがその、「昇天した20人」に含まれているとしたら。

 

どうです?

食べてみたいでしょう?

美味すぎて、気を失いかけるんですよ?

 

ようするに、Aのパターンは、「この程度の味なら、他でも食えるな」っていう、レベルなんです。

だから、100人が美味いと言っても、リピーターは、2,3人ということもあります。

 

ですが、Bのパターンはどうでしょう。昇天しかけた20人は、絶対にまた買ってくれますよね。

そして、SNSなどで、「ここでしか食えない味!わたしは、気を失いかけた!」って、拡散してくれるでしょう。

 

もちろん、拡散されて増えた客の分、ゲロる80%の人間が増え、大量に汚物をまきちらすことになりますが、絶対的な20%によって、お店がつぶれることはありません。

 

 

 

で、最初の前提に戻りますが、商売として、専門的に作るのなら、Bのゲテモノの味は、決して生み出されません。

そういうのは、素人が、家庭で、たまたま組み合わせた、揚げ物とのコラボが、神がかり的に美味かった場合に、生み出されるものです。

 

 

革新的なアイデアは、素人からも生まれえる

 

「学生時代から、専門的に学び、寝る間も惜しんで、専門性を高めるため、技術を高めるために、努力した。

そんな人間からこそ、その分野における、天才的な新技術が生まれる!アイデアが生まれるんだ!」

 

っていう考えかた。

間違っているとは言いません。

でも、すっげえもったいないなって、思います。

 

たとえば、ぼくは、過去のブログで、「教科書なんて、要らねえ、手ぶらで授業の出来る教師こそ、真の教師だ」みたいなことを、でしゃばって、言いました。

 

これは、素人のぼくだからこそ、なんのしがらみを感じることなく、言えてしまえることなんです。

 

これが、当事者の教師だったら、「教科書を使わなければ、各単元の学習目標を、正確に、達成できない」とか、「教科書を使わずに、授業をしていることが、管理職や、教育委員会の耳に入れば、なにかしらの注意を受ける」、「心象がわるい」だとか、考えてしまうのでしょう。

 

そうなったら、もう、その、枠の中でしか、アイデアを出せなくなります。

つねに、こころにストッパーをかけながら、頭を働かさなければ、なりません。

 

「新しい教材を使って、指導案には記載されていない授業をしたいけれど、予算の範囲では出来ないだろう……。学習も、その分遅れる」

「課外学習を充実させるために、本来の単元の順番を変え、先にこの学習をさせておきたい。でも……その意図が水泡に帰したときの、リスクは大きい」

 

こういう、アイデアに蓋をする、こころのストッパーが、どうしても、幅を利かせてしまうんです。

 

 

すこしでも、リスクを感じたり、限界を感じてしまったら、もう、「どうにかして、リスクを回避しながら、やりたいことを、現実的に、良質なアイデアに、昇華することができないか」なんていうふうには、考えなくなってしまいます。

 

 

だから、専門家って、前に進めないんです。

教育って、右往左往してて、なにも革新的な発展をしてません。

 

教育をずっとやってきた人が、教育を動かす重職に就いて、自分がやってきた教育の枠の中で、教育を、地味に、変えていく。

その程度で、なんだか、とっても、教育の進展に、貢献したぜ、みたいな自己評価をして、満足しているのでしょう。

 

 

ずっと、そうやって、やってればいいと、思います。

何十年も携わってきた、プライドとか、信念があるのでしょうね。

 

「世の中を変えるアイデア」や、「変化した世の中に対応するアイデア」を、ひねり出すためには、そういうしがらみって、邪魔でしかないってことに、気が付かないと、やばいですよ。

 

ほんとうに、今後半世紀も、ずーっとおんなじことを、繰り返すだけの、進展のない時代にしてしまいます。

 

 

 

アイデアを、素人に出させて、多くのプランナーに、具体化させ、専門家が、現場におとしこむ

 

なんのしがらみも、もっていない素人に、いったん、思いつく限りのアイデアを出させる。

それを、第三者の、たとえば、学校教材をつくる企業や、教材の効果を、厳密に測定している研究機関などが落ち合って、アイデアの具現化の方法と、実用性などを、検証する。

さいごに、教育の歴任者や、管理者が、現実的に、教育現場で、有益性をもつアイデアであるかどうかを、判断する。

その結論を受け、もういちど、素人が、別の角度から、アイデアを再提出する。

 

これを2、3度繰り返せば、革新的かつ、実用的なアイデアの、生まれる環境が整うんじゃないか。

 

 

もちろん、これも、素人であるぼくだからこそ、なーんにも考えずに、言っちゃってるだけなんです。

 

こういう話をすると、「根拠がないし、知りもしないことを、なにを」とか言ってしまう、程度の低い人がいるけれど、そのへんの前提は、初めの方に、書きました。