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就労継続支援A型事業所に通うワタクシきゃろちん。
昨日も昨日でありました。しんどい
こと。毎日あります。なにかしら。

昨日の事件をザックリ言うと、
「ぼくがクーラー効き過ぎに体力奪われてつらそうにしてるのを、見かねた隣の人が頼んでないけど職員さんに『◯◯さん寒いそうです』と耳打ちし、職員さんは「あら大変」と日の当たる席へ移動するよう指示をくださる。そのあとクーラーの設定温度を2度上げようとしたので
、「それをされては移動の意味がないので温度はそのままで」と頼む。ぼくが、「そんなに気にしてもらわなくても大丈夫です」というと、なぜか「窓開けましょうか。いい風吹いてますし」という流れに。職員さんは他の利用者さんに大声で、「皆サァーン!寒い方がいるので窓開けてもよろしい〜?」と問い。「は、は〜い」「どうぞ〜」という他に返事のしようがないというテンプレの返事。ぼくは自分の都合でクーラーを切らせてしまい、皆さん暑いのに申し訳なくて精神すり減らしまくり」

ということがありました。
なっが!

本当に求めていないことをしてもらっても、嬉しくないのはあたりまえ

「それのなにが問題なんだ」
と思うじゃないですかあ。
問題ないですね。たしかに。一般的には。
ありがたいことです。

ただ!ぼくはしんどかった。
優しいことをしてもらっているのに、それはぼくにとってはけっこうしんどい。
申し訳ないけど、それを100%喜んで、
「ありがとうございます!たすかりました!」
とは言い切れない。

そういうことってけっこうありますよね。
悪い言い方をすれば、ありがた迷惑です。

で、こんな話をすると、
「親切にしてもらっているのに!何様だ!素直に感謝しろ!」
なんていうトンチンカンな人が意気揚々と現れます。滑稽です。

ありがた迷惑の身近な例なら、東日本の大震災がわかりやすいと思います。

【善意でダンボールに、たっくさんの物資を宅配便で送った個人が大量にいたせいで、まず配送のトラックが交通機関を過密にして大迷惑、

配達した震災場所では、物資を使えるものと使えないものに振り分けたり、どこに配分するかなどの仕事に、ボランティアさんたちの労働力が吸い取られ、本当に必要な救助活動や被災者の心身のケアなどの支援に当てるボランティアの人手が不足して大迷惑】

物資を送った人は、いいことをして満足してるのでしょうが、迷惑なんですよ。実際。

お金を募金口座に振り込むのが一番喜ばれます。それなら被災地の人たちが「本当に必要なもの、今!欲しいもの」を買えるから。

人の役に立とうとするのは立派ですが、相手がなにを求めていて、なにを必要としているのか、自分のやろうとしていることで、相手が困ることはないか。
そこまで考えるべきです。

もちろん誕生日プレゼントとか、なにをもらっても迷惑にならないポジティブなイベントのときは、なんだっていいと思いますよ。常識の範囲内で。

迷惑は伝えるが、気遣いに対しては、心から感謝の気持ちを伝えること

「善意によるものなら、すべて正当」
という価値観が蔓延していて、気持ち悪いなと思います。
いらないものでも
「ありがとう!」と言わないと、
「あいつは感謝もできない人間だ」
みたいなレッテルを貼られる。

馬鹿馬鹿しいです。

いらないものはいらないし、どんな善意も迷惑なら迷惑だと言いますよ。

その上で、こう付け加えます。
「気持ちは嬉しいよ。ありがとう!」

​ここが大事!
これなくしては、ただのわがままです。
【気持ちには】本当に感謝しているという点。
それは大いに伝えるべきですし、それによって相手の気持ちも救われます。

本音を言い合おうよ。感謝も迷惑も。同じ大切な人の心だよ

「見てくれさえ良ければ良い」という価値観が、日本の美学になりつつあって、つらい。
精神の美しさよりも、目に見える形が整っていれば、中味がなんであろうと美しいと言われる世界になってきている。

心が迷惑だと嘆いているのに、表面さえ美しく、「ありがとう!うれしいよ!」と言えば、ありがた迷惑をかけた相手が気持ちよくなる。
そのために、気持ちを押し殺して、感謝を伝える。

これで一体誰がハッピーになるのか教えて欲しい。
ありがた迷惑をかけた人がハッピーになる?
もちろん。気分がいいでしょう。
それでいいんですか?
実際には迷惑をかけたのに。

偽りのハッピーエンドに歓喜して、また同じようなありがた迷惑を同じ人や、別の人にかける。いいことをしていると思い込んで、迷惑だと気づくことなく、誰もそれを迷惑だと言わず、永遠に、何度も何度も。繰り返す。

馬鹿馬鹿しくて泣きそうです。

ぼくは、感謝も迷惑も、どちらも大切だと思います。人の心に、優先順位をつけることができません。
感謝したい気持ちも、迷惑だと叫びたいつらい思いも、同じ「気持ち」です。

だから、それを「伝えたい気持ち」と同じように「伝えて欲しいという気持ち」も、大切にしていきたいとぼくは思っています。

「迷惑だったら、言ってね」
そういう心構えでいるだけで、
「ごめん!気持ちは嬉しいけど、これは今の私には喜べないの...ごめんなさい。ありがとうね」

そう伝えられる、伝えてもらえる文化が、定着して、広まってくれたらいいな。

そしてたら、ありがた迷惑を心にしまって隠してしんどくなって、それが相手に伝わらず、良かれと思って迷惑を続ける人が増える...という負のループに、ちょっとは歯止めをかけられると思います。