ぼくは、この30年、ずっと勘違いしていた。
この世界には、有無を言わさず愛を認め合う、たった1人の運命の人がいて、

いつか必ずその人と出会い、恋をして、結ばれるという未来がある。

それが、いつ訪れるのかはわからないし、いつまでも訪れないまま、死を迎えるかもしれない。

そのタイミングがわからないだけで、
「唯一無二の愛は、この世界のどこかに、必ず落ちている」

そう考えていた。
いや、そう願っていた。

それが、間違いだったと、長い年月をかけて、ようやく気がついた。そしてそれをついに確信した。


1つ目の真実

この、「はじめの真実」から目を背けてしまったときから、ぼくの人生は、終わらない幸せ探しの旅を歩み始めた。

ぼくのすべてを愛することのできる人は、この世界に1人もいない。

これは、事実だ。
悲観でもなければ、ニヒルを気取っているわけでもない。

冷静に考えればわかることなのに、誰もが耳をふさぎ、目を覆い、口に蓋をする。

認めようとしないし、人に尋ねようともしない。

こわいからだ。
こたえを、真実を受け入れる器がないことを知っているから、知ってしまうことが、たまらなくこわいのだ。

考察の余地はない。

・血の繋がった親ですら、ぼくのたった1つの側面を見て、怒ったり、皮肉を言ったりする

・お互いに、すべてを愛し続けられる夫婦は存在しない

説明が必要だろうか。

正直になってみてほしい。

否定することができないと、わかってもらえるはずだ。

正直になる方法がわからない人に、この話は心痛であろうから、ソッとブラウザバックしてくれ。


2つ目の真実

絶望を予期させる真実を、はじめに置いたのには、わけがある。

はじまるからだ。

1つ目の真実を、受け入れて、認めた瞬間に、幸せの扉が開くことを、ぼくは確信した。

どこかの聖典のようなセリフばかりで、うさんくさい。わかるよ。

ただ、ぼくは誰かに、この真実を教えようと考えているわけではなくて、諭そうとも思っていないし、人の思想にテコを入れようだなんてつもりもない。

書き残しておきたい。

20年後に、この記事を読んだとき、
「たしかにそうだ。そのとおりだった」

そう思えるのかどうか。すごく興味があるんだ。確かめずにはいられない。

2つ目の真実はこうだ。


愛を確かめる方法はない


残念ながら、ない。

これも理由が2つある。

・同じ「愛の形」を持っている2人は存在しない

・他人の頭の中を、覗くことができない

勘のいい人なら、やはりこの説明は不必要だと、感じてくれるのだろうけれど、

ちょっと意地が悪い気がするから、すこしだけ補足しておきたい。


とてもチープな例えをしよう。

ひのき君は、あんちゃんを愛している。

あんちゃんも、ひのき君を愛している。

ひのき君は、「愛とは話すことだ」と考えている。

あんちゃんは、「愛とは秘することだ」と考えている。

この2人が、同時に、目を合わせて、同じ呼吸で、「愛している」と口にしたとき。

その裏に流れるココロのカラーは、はたして同じものなのかどうか。

興味深いと思いません?

そして、知りたいとも思いませんよね。

こわいです。

相手と自分の愛の形が同じであり、必ず愛し合ってると確信しているとしても、確かめられない。

知っているから。

その確信が、希望であり、真実を知るまでの間の夢であると、だれもが知っているからだ。

だから、お互いに愛し合っていると叫び、唯一無二だと疑わない2人の恋人ほど、

「相手のココロの中をのぞくことのできる装置を、使って見たいですか?」

との問いに。

「NO」と答えるだろう。


3つ目の真実

たった1人に、自分のすべてを認めてもらうことが不可能で、そんなことのできる人間は未来永劫あらわれないとしり、仮の愛が本物かどうかを確かめるすべがないと、理解したとき。

こんな夢のような真実に、たどりついた。


ぼくの、たった1つの側面を愛してくれる人は、かならずいる


いる。たしかに。いるんだ。

ぼくたちが、それを無視しても、悲観に暮れて、
「どーせこんな自分、なんの価値もないさ」
と嘆いても、

じつは、この世界のどこかに、ぼくやあなたの、
「たった1つの側面だけなら、ダイスキ!」

そう言ってくれる人が、かならずいるんだ。


ぼくが、このルールに気がつくきっかけとなったのは、ブログだ。

それから、ありとあらゆる創作活動だ。

そして、シェア。

ぼくの好きなものを作り、封筒に包んで、インターネットでそれを世界に送ってみた。

顔も見たことのない、どこに住んでいて、どんな顔をしていて、どこの言葉を話すのかもわからない人たちに、たくさん、たくさん届けた。

そうしたら、ある日、その封筒に書いた、送り主であるぼくの家に、こんな手紙が舞い込んできた。

「あなたの絵や文章が好きです」


たいせつなのは、彼女が、
「ぼくのすべてが好きです」
と、ペンを走らせないことだ。

彼女がぼくの作り出したもののうち、絵と文章を好きだと言ってくれた。

これで、ぼくという人間の持つ側面のうち、1つと、もう1つが、救われた。

つまり、愛してもらえたんだ。


4つ目の真実

100人だろうか、いや、200人かもしれない。

愛は1人につき、1つではない。

たくさんの愛のカケラが集まって、ただ1人の愛を満たすことができる。

ひとの愛は、100のカケラに砕かれ、世界中にちりばめられていて、だれでもそれを拾って、宝石箱に入れ、愛でることができる

100なのか、200なのか、1000なのかは、だれにもわからない。

ぼくらは、誰かに愛してもらえるカケラを、たくさんもって生まれ、オギャーと泣いた瞬間に、世界の端々まで、その宝石を飛び散らせる。

それを、どこのだれともわからない人が、何かのきっかけで、胸に熱いなにかをかんじて、もってくる。

そしてこう...

「わたしはこれを愛しています。これは、あなたの落としたカケラですか」

そうやって、彼や彼女が、ぼくらの生命の始まりに世界に送り出した、愛のカケラを集めてきてくれて、ココロの中の大きな大きな愛の穴を、少しずつ埋めていく。


さて、もしぼくが、さきほど現れた、
「ぼくの絵と文章を好いてくれる人」
に、
「それなら、ぼくの歌も聞いてくれないか。ぼくの声を、ぼくの顔はどうだい?頭もいいよ。ほかにも、いや、すべてを好きだといってくれないか?」

そんなふうに、せまったとすれば、彼女はどこか遠くへ行って、そのカケラを捨ててしまうだろう。

同じ人に、別のたくさんのカケラを持って来させようとすれば、今持っている1つのカケラさえも、失うことになる

他の誰かが持ってきてくれるのを、待てばいい。

そのためには、ぼくのカケラの色や形の情報、つまり、ぼくの才能や側面を、より多くのひとに、見てもらう必要がある。

シェアするんだね。

さいごの真実

あたりまえなのに、くさいからといって、蓋されている、禁断の呪いがある。

ぼくたちは、どちらかを、選択することができる

目の前の愛おしい恋人を、

「唯一無二の最愛の人だ。運命だよ」
と叫ぶのか

「たくさんいるファンの1人で、いちばん仲の良い人と生活を共にしているんだ」
と語るのか

ぼくらは選べるんだ。

不都合で、理不尽なことだと思う。

この選択に、どう立ち向かうかを見せてくれたら、きっとあなたの愛の形が、すこし理解できるはずだ。

それは叶わない。



かわりに、ぼくのこたえを、ありのままさらけだすよ。

この世界に、ぼくのすべてを愛することのできる人は、1人もいないけれど、ぼくの側面の1つを愛してくれるファンが、かならずいる。

存在しない、唯一無二の最愛の人を探すより、確実に存在する、尽きることのない、ぼくの一面のファンを、100人探して、生まれた時にできた大きな愛の穴を、すべて埋めてしまおうと思う。