みなさんこんにちは〜
きゃろでーす(´・ω・`)ノ

こんかいは、ぼくの肩書きの意味について、お話ししたいと思います。

前置きとして、さいきん、Twitterでよく見る、
「#不登校は不幸じゃない」
というハッシュタグについて少し。

ぼくも不登校は不幸じゃないと考えている1人で、ついでに鬱も不幸とは言い切れないとも考えています。

これはけっこう繊細な話題なので、なるべく一方通行にならないように考えてますが、思ってることは全力で言いたい!

今回は少し熱めに語ります。

不登校の話を交えつつ、不登校や鬱でも陽気に生きていいじゃんっていうスタンスで、
「鬱の人でも笑って生きたい」
をテーマにお話しします。

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学校を抜け出して本を読むと「世界は無限に広がっている」ってことに気づく。冒険の第一歩は、自分の足で。うずくまっていても始まらない。

「不登校は不幸じゃない」
この言葉を、じっくり眺めていて、思ったんです。

(あ......これあれだ。
「不登校は不幸だろ」
「不登校なんだから不幸そうにしてろ」
みたいな大昔の
「人の群れからはみ出したらどんな苦渋も理不尽も受け入れろ。もしくは黙って存在消しとけ」
みたいなノリだ。)

って。

いわゆる、はみだした非国民を集団で抑圧的な思想で封じる空気。
自分たちの正しさを証明するために、相反する思想を弾圧するかんじ。


あとあれ!
「センセー!きゃろ子ちゃんが昨日学校休んだのに、ゲーセンで太鼓叩いてましたー!」
「いーけないだーいけないだー」

ってあれ。

いいだろ!太鼓叩いても!

......意味がわからん...。

ってモヤモヤしていたら、


、、、まてよ。
「きゃろ@世界一陽気🤗鬱ブロガー」
って肩書き、まさにこの思想の格好の餌食になるんじゃね!?

ってことに気がついてしまいました。

ですので!今日は、

「矛盾してる!」
とか
「不謹慎!」
とか
「鬱のイメージが悪くなる!ほんとはツライのにそれが伝わらなくなる!やめて!」
みたいなご意見に答える意味も込めて、

きゃろが『世界一陽気な鬱ブロガー』と名乗る理由

を、勢いよく熱量込めてガッツリ書きました。

👇こんなかんじで、書いております〜

  • 鬱もガンも風邪も病気!苦しい闘いなら、せめて笑顔でいたいじゃん
  • 「不登校なのに遊んでる」いーじゃん!今まで自分押し殺してきたんだから
  • 苦しみに耐え続けることが美徳とかいうマジキチ根性論、成敗!!!
  • 【まとめ】苦しいからこそ陽気でいたい〜そしてその価値観が当たり前に認識されてほしい〜

鬱もガンも風邪も病気!苦しい闘いなら、せめて笑顔でいたいじゃん

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笑わなきゃやっていけないじゃない!

「ガン」→「つらいな。わかる」 「鬱」→「あまえんな。はよ治せ」 なぜ...

『ガンになった人が、毎日を家族と笑顔ですごして、奇跡的に回復した』
ってエピソードを聞けば、だれでも胸にグッとくる感覚がありますよね。

ガンって本当に苦しいと思うんですよ。
想像してもし足りないくらいに。
(これからガンを例えに話をしますが、けして「ガンの苦しみをないがしろにする」意図はないので、ほんとうにないので、ご了承ください。)

ガンがとても苦しい病だからこそ、『ガンなのに笑顔ですごす』というストーリーが、悲劇を覆すほどに感動的で美しく思えるのではないでしょうか。


ここで、
(ガンの人が笑っていたら、その笑顔を賞賛して
「あなたが笑顔で嬉しい」
と感じる人さえいるのに、なぜ、鬱の人が笑っていたら、
「鬱なのになんで楽しそうなの?鬱なら家で休んで早くよくなりなよ」
なんて言われてしまうのだろう。)

という疑問が浮かびました。


ガンと鬱の認知度の差がすさまじい

まず、鬱って病気が、知られてなさすぎるんだろうなって思います。

ガンは、人間にとって、とても身近な病で、他人事ではない。死ぬまでに、2人に1人が罹るとも言われます。

それに、テレビのドキュメンタリーや、医師を題材にしたドラマや映画、ガンになったヒロインの感動的な物語が、広く知られていて、たくさんの人が、リアルにイメージしている。

一方で、はどうでしょ。

この数年で、ようやくメディアを起点に広まりつつ、個人が勇気を出して本や漫画として表現したり、著名人が鬱をカミングアウトしたり、少しずつ鬱が他人事ではない課題として扱われるようになりました。

社会人として、鬱に対する知識が常識として浸透してきています。


とはいえ、

「鬱の痛みは、人によってまったく異なる」

「鬱をテーマにしたリアルな描写のドラマなどが少ない」

「鬱というものを想像する材料が少ない」

といった問題があって、


鬱に対する理解が、辞書に書いてある一文のレベルに留まっているのでは?

と思うんです。


WEB辞書を引くとこんな風に定義されています。

憂鬱な気分が毎日続き、興味や喜びが感じられなくなる精神疾患。気分障害の一つ。不眠や過眠、食欲不振や過食、頭痛、倦怠感 (けんたいかん) などの身体症状を伴い、病状が進行すると、自分には価値がないと感じたり罪悪感をもつようになり、自殺を考えることもある。抑鬱症。孤立の病。大うつ病性障害。goo国語辞書

間違ってはないのですが、この一文で、

「なるほど!」と納得してもらったら困りますよね...。


「ん。まあそーなんだけど、違うっていうか。や、まあ概ねそうなんだけどさ!...んー」

っていうような。ね!


それならもういっそのこと、

「症状がひどい時は、1年中毎日インフルエンザに罹ってるような、肉体的精神的苦痛がある。また毎日親友が1人亡くなり続けるような絶望感が永遠に続く病」

とかはやりすぎですし不謹慎ですが、

【人によっては】この言葉の方が伝わるはずです。

この、【人によって】伝わる言い方が違うっていう特徴が、鬱のイメージが理解されにくい理由の1つだと思います。


「鬱」が特別理解されにくいのは「人によって痛みがまったく違うから」

たとえば、

「ガンになったら【頭痛や吐き気がする】」

と知った時、ぼくたちは、風邪をひいた時の経験をもとに、

(あー...あの時の頭痛や吐き気を何十倍にも強く最低な感じにしたツラさなのかなあ)

って考えることができます。


でも、

「鬱になったら【頭痛や吐き気がする】」

と聞いても、ピンとこない。

「そんなわけあるか!w」

と笑われたり、

「それって気持ちの問題でしょ?」

とか

「実際に痛いわけじゃないでしょ?例えでしょ?」

なんて言われてしまう。


精神的苦痛が肉体的苦痛を引き起こすという、事実が、まったく理解されないんです。

だから、「鬱です」と言われても、ピンとこない。「はあ。それはそれはお気の毒」みたいな。


鬱は体の病気だとおもう

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目には見えないけれど、体がもうダメになってるんだね

うつは心の病気ですが、それは便宜的な言葉だと思ってます。

じっさい体の中に「こころ」っていう器官はありません。

眼に見えないモヤっとした、形のないのようなものが、痛みや苦痛を訴えてるのではなく、
体が苦痛を感じていると、考えています。
そのほうが、道理に合います。

脳の中の神経が過去の痛みを記憶して、何度も思い起こさせる。
そのたびに、痛みを感じさせる物質が過剰に放出されて、頭痛や吐き気を体に伝える。

こうやって説明されたほうが、ずっと納得できます。

ぼくたち鬱の人が
「心が苦しくなる病気」
と言ってしまうから、
「じゃあ心でなんとかすれば?」
って言われる。

これってあたりまえのことかもなあって考えてます。

なので、ぼくは他人に鬱のことを説明するとき、
「一般的には心の病だけど、現実的に体が蝕まれて不健康な肉体に陥っている」
と、補足します。

体の病であることをわかってもらうことで、
「休むことの必要性」を理解してもらおうと思うんです。

終わりの見えない病気だから「今」笑ってすごしたい

こう思うのって、いけないことでしょうか。
出口が見えない暗闇のトンネルって、すごく怖いですよ。

そんな道を歩き続けなきゃいけない。それも1人で。
どうします?
気が狂いますよ。

ぼくなら、とりあえず笑ってみたり、歌ったり、ぬいぐるみと話したり、踊ってみたりします。

そうして、自分を勇気づけて、心を震わせて、闘い続ける。
何が悪いの?って思う。

だって、笑ってるってことは、闘ってるってことなんだよ!
( ;  ; )笑わせてよ!

って思うんだー。
真っ暗な終わりのないトンネルに住むぼくだからこそ、誰よりも声高らかに笑って、陽気に微笑んで生きていたい。


「不登校なのに遊んでる」いーじゃん!今まで自分押し殺してきたんだから

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「学校に行かないからこそ」だよね!
思いっきり遊びなよ!人の目なんか気にせずさ!

あたりまえのことを「ダメ」って言う世の中つらいよね

記事のはじめにチョロっと書いた、
「休んだやつが遊ぶなや論」
これって考えたらだいぶ暴力的な理屈なんです。

ぼくらは風邪をひいたら薬を飲みますよね。
薬が嫌いな人は、栄養のあるものを食べるとか、自分で工夫します。
何をするにしても、
共通するのは「足りないものを補う」
という対処です。

・自分の体力で風邪菌を倒せないから、抗生剤を飲んで、殺菌力を補う
・今あるエネルギーでは足りないから、エネルギーチャージを飲んで栄養を補う
・自力で体温を下げられないから、アイス枕を使う

すべて、不足しているものを補完して、風邪の原因に対処する行為です。

​不登校の場合はどうでしょう。

これも風邪と同じく、原因に対処します。
「学校に行くと胸が痛い」
👇
「行かない」
あたりまえです。

「学校にいると息苦しい」
👇
「外の空気を吸いに行く」
当然。

「学校では羽を伸ばせない」
👇
「ゲーセンで遊ぶ」
ごくごく自然。

「不登校」は悪夢の始まりではない

「不登校になる」
っていうのは、風邪でいうところの、
「熱が出る」「頭痛がする」
と同じです。

体の異常を知らせる信号なんです。
アラートが出たときにはもう、病に侵されている状態です。
熱が出て、頭痛や寒気がして倒れる、ずっと前から、風邪の菌は潜伏して、少しずつ体を蝕んでいた。

不登校は、あるとき突然不登校になるんじゃない。
ずっと行きたくないのに耐えてきた。
地獄のような毎日を、永遠に思えるくらい苦しい時間の中を、涙を流して生きてきて、
それが、ついに限界を迎えたってこと。
不登校は、すでに気が遠くなるほど見続けた悪夢の、ほんの一瞬に過ぎないんです。

勇気を振り絞って「不登校」になった子どもの、たった一瞬のSOS。
その一瞬だけを切り取って見て「なぜ突然そんなことを言いだすんだ!」「よく考えろ!」
​なんて言えるのが信じられません。
「突然」ではないし、「頭が潰れそうになるくらい考えた」はずです。​

そんな人に、
「サボるな」「甘えるな」「休むな」「遊ぶな」「登校しろ」
なんて言うのは、風邪で40度の高熱を出してクラクラの人を無理やり登校させるのと同じです。

順番が違う

一生懸命にやっておられる先生方を侮辱するつもりはないのですが、
「不登校になってから『相談してね』って心配する」
これって、
「風邪で倒れてから『うがいしとこうね』って注意する」
ようなもので、

「不登校になった子を『どうしたら登校させられるか』考える」
っていうのは、
「風邪で寝込んでいる子を『病原を持ったクラスの中にどうやって連れ戻すか』考える」
ようなものだと考えています。

もちろん「不登校」のすべてが、第三者に原因があるとは思っていませんが、パターンの1つとして、この主張は通るように思います。


苦しみに耐え続けることが美徳という太古の根性論

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がまんすることなんかないよ

たとえば戦争真っ只中で、後がなく、玉砕覚悟で戦わねばならないとしても、そんな理屈は通りませんが、まだ救いはあるようには感じます。そういう洗脳を受けて育てば、それが正しいと思い込んでいたら、あるいは。

でも今の日本は、そんな教育を強いる必要はなくて、自由な立場で自由な生き方を選ぶことができるはずです。

にも関わらず、古い価値観の大人たちが、古い価値観の美徳を守り続けていたら、子どもにも伝染します。

ぼくは学生の頃、こんなことを大人に言われていました。

1.「今の困難に耐えて、乗り越えることができなければ、大人になったときに立派に生きていけない」
2.「大人はみんな苦しいことに耐えて今の社会を作った。それを見習え」
3.「すぐに諦めるやつは、社会に出たとき、通用しない人間になる」

ひどい...

上から順にガチレスしていきます。

1.大人になったとき、困難から上手に逃れて、自分の生きやすい場所で、計画的に自分の意思で、自分の能力を活かして戦うために、柔軟に対応するスキルを身につけるための訓練をすべきです。
そのために、『華麗に逃げる』という選択肢は、貴重な経験を生むと思います。

それから「たまたま同じ地域に住んでる寄せ集めのクラスメイトと生じたトラブル」って、将来何の役にも立たないただの嫌な思い出になると思います。

人間関係構築能力は、話の通じ合う、気の合う仲間同士で、いろんなトラブルを解決しながら学べば良くて、全然気の合わない人と仲良くする理由がないです。

あと「いつか役にたつから、人間関係のトラブルを解決する練習をしろ」っていう大人や教師が、学生の時の体験を活かして、それを解決できてるのか疑問です。

2.時代は変わってます。今の若者の生き方を見習ってください!逆です〜!

3.不登校は「すぐ」にできません。そして、社会で生きるために、不登校はいい練習になります。

全員一回は不登校やってもらって勉強したらいいじゃん!学校っていう強すぎる概念から離れて、自分の足で立って歩いたとき、はじめて主体的に学校で学べるようになれるはず。

それから、大学出てすぐに教員になった人が、「社会に出たとき」って言ってるとしたら謎です。


つい否定的な言葉づかいになってしまいます。
子どもですよね、、、。

時代が変わってるので、新しい時代に合わせた生き方をススメていきましょう!
と言いたいんです。

学校教育って何十年同じことやるんだろう。
これからも続けるのかなあ。
不思議。


【まとめ】苦しいからこそ陽気でいたい〜そしてその価値観が当たり前に認識されてほしい〜

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休んでくれて、うれしいよ

たった1人、お日様の下で、誰の目も届かない草むらの中に寝転がり、
「気持ちがいいなあ」
って顔を緩める。

ゆるしてほしい。

ほんとは、そんなことに許可なんていらないんだけど。
休むことの何が悪なのか、ぼくに諭せるのなら、教えてくれたっていいと思う。

「鬱なんだから、家でじっと休んでなよ」
これがわからない。

「心も体も休まる場所がなかったからこそ、鬱になったのに」
そう思う。
じっと家でうずくまって泣いて休んでいたら、今度は
「改善する努力をしなよ」
とくる。
その言葉に寂しさを訴えると、
「人のせいにするな」
と。

ぼくは、鬱だからこそ、誰より健やかに、穏やかに心地よく、ユーモアに溢れて、新しさと発見と冒険に満ちた人生を、創作しています。

これほど喜びの尽きない人生は、鬱になるまでありえなかったよ...。
鬱になって、多くの時間とお金と目に見えない財産や能力を失いました。

けど、その代わりにたくさんの幸せのタネを蒔いてきた!
ようやくそれが花を咲かせようとしています。

その花を愛でて、微笑んで、取り囲んで、冠を作って、みんなでそれを交換して、歌を唄って、踊って、お酒を飲んで、たくさん話がしたい。

これまでのことと、こらからのこと。
今のぼくの姿を、たくさんの人に届けて、笑って陽気に歌える鬱病フレンズが増えてくれたら嬉しいなって、思います。


さいごのお手紙

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あなたへ

さいごに、今、絶望の淵にあって、深い暗闇のそこしか見えていない人へ

この文章がとてもつらい期待を背負わせてしまったら、ごめんなさい。
ぼくの生き方が、すべての鬱の人にとって正しい生き方だなんて、微塵も思っていません。

もし、この記事の言葉がしんどく感じられたなら、きっとそれは「休もう」っていう体のサインなんだと思う。

先のことを考えず。
考えてしまうのはわかるけれど、なるべく考えないように、自分を責めないように、苦しまないように、休む方法を見つけてほしいです。

これからも、鬱を克服してきたぼくなりの知識や技術を、シェアしていけたらと思っています。
何かの力になれたら嬉しいです。

自分のことを、1番に考えて、生きてください。
今まで人を優先してきたの...でしょうか?
自分のことだけ、なるべく、考えて、ぼくは絶対それを否定しません。
思いっきり自己中に、休んで楽しんでください。

おつらいのに、最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
どうか穏やかな生活が、おくれますように。