みなさんは、Twitterのフォロワーさんの中に、
「どう見たって、うつ病には見えない」と思える人がいる。

そんな経験をしたことありませんか?

ぼくはあります。

・そんなに元気で活発でポジティブで努力家で勉強家なのだから、うつ病ではないのではないか
・わたしたちみたいな、ネガティブで自傷をしていて、希死念慮が強い弱者こそが『うつ病』と呼ばれるべきだ
・元気な人がうつ病をなのっていたら、わたしたちのような『ほんとうのうつ病者』まで、元気な人だと思われてしまう
・ほんとうは助けられ、守られるべき存在なのに、その必要がない人だと思われてしまうじゃないか!

 

なんていうふうに思っていたときがありました。

だから、今、こんなふうに考えてしまう人の気持ちが、ちょっとわかります。

でも、意味がないんです。この考え方。

 

この記事は、
そういうの、もうやめましょうよ!
というメッセージです。

とはいえ、すぐにやめられるものではないので、「あの人なんかうつじゃない!」っていう頭のコリに、よ~く効く『処方箋』を出しておきました。

 


3つの処方箋

  1. じぶんが回復したときに同じことを言われたら?
  2. 今『元気に見える人』も、あなたと同じ
  3. 元気になる人がいるから、うつ病者が社会的に援助される
  4. さいごに『捕らわれた自由な鳥』のお話

ひとつずつ、用法を説明していきますね。

 

じぶんが回復したときに同じことを言われたら?

元気に見えるうつ病の人を、「あんな人はうつ病じゃない」と言いたい気持ちはわかりますが、
こう考えてみてください。

あなたは、これから、うつ病が少しずつよくなっていき、いつかあなたが「うつ病じゃないと思った人」のように、「元気に見えるうつ病の人」になっていきます。

そのときに、自分が通ってきた道の途中にいる
「まだまだ苦しくって、うつのどん底にいる人」に、
「あなたはうつじゃない!わたしたちこそがうつ病と呼ばれるべきだ!あなたは、うつ病という肩書をいますぐにとりはらってくれ!」と言われたら、
せつなくないですか?

 

この悲劇って、
・元気に見える人=回復している人
・頑張っている人=ほとんど治っている人
・努力している人=すっかり元気になった人

なんていう思い込みがあるからだと思います。

でもこれ、逆なんです。

・回復していないから、無理に元気に見せて働いている
・治っていないから、自分を奮い立たせて頑張っている
・元気じゃないから、元気になるために努力している

こういう理由で、
『外からは元気に見えるけど、中はすっごく泣いているしつらがっているし怖がっているし疲れちゃっている』
という人が、たくさんいます。

 

そんな人たちの中身を知らずに、「なんとなく元気に見えるからうつ病ではない」と言ってしまうと、将来じぶんが、同じ立場になったときに、同じことを言われて、つらい気持ちになってしまいます。

 

さて、つぎは、
「今元気に見える人も、みんな同じようにつらいんだよ」というお話をします。

 

今『元気に見える人』も、あなたと同じ

うつ病が完治すると思います?

心の病気ですよ?治ると思います?完全に。

目に見えるところが元気そうに見えても、中身はずっとしんどいまま生きてるぼくの例を、すこしお話ししますね。

ぼくは、
10年前に大学でいじめられていたときの記憶が、強烈に脳にしみついていて、
彼らの名前を街の「〇〇病院」という看板とかで目にするだけで、吐き気と動機に襲われます。

10年ですよ?いちども会っていませんし、
SNSや連絡先はすべてブロックして着信拒否までして削除しました。

むこうはぼくのことなんてもう忘れてるはずです。

「吐き気」というのはさいきんのことで、
3年くらい前は「嘔吐」していました。

人の名前を見ただけで吐くんですよ?
体のどこも悪くないのに。

これが完治するとは思えません。
おそらく死ぬ直前にも普通に思い出します。

それを込みで生きていく決意をぼくはしたので、元気に見えるのかもしれませんが、中身はぐちゃぐちゃです。

 

まわりくどく言いましたが、
うつ病は「目に見えるところが元気に見える」というだけでは、「回復しているかどうか、まったく判断できない病気」です。

あなたがそうであるように、みんな、目に見えないところで苦しんでいるのです。

その事実を、じぶんだけでなく、ほかの仲間にもあてはめてあげてください。

ぼくがいえるのは、そのくらいです。
きもちはわかるので、あんまり強くはさえぎれません。

 

元気になる人がいるから、うつ病者が社会的に援助される

さきほど、うつ病は完治しないといいましたが、
「よくならない」という意味ではありません。

質のいい情報を得て、自分のことをよく知って、適切な対処をして、クリニックでしっかりと先生と相談して、相性のいい薬を飲み続けて、適度な運動や健康な食生活をしていたら、けっこうよくなります。

これがむずかしいんですけどね。ご存知の通り。

 

さて、うつ病が完治するかどうかは個人の意見ですが、
うつ病は「回復が期待できる病気」であることは、確かです。

だからこそ、ぼくたちのように、うつ病になって
「働けなくなってしまった」とか
「学校に行けなくなってしまった」
「生活が難しくなった」人たちが、
社会的に援助を受けることができると考えています。

 

もし、「うつ病は、まったく回復が期待できない病」だったら?

どうでしょう。

精神障害を持った人のために「就労継続支援」といった、
社会復帰のための福祉があるのは、「回復が期待できるから」ではありませんか?

うつ病に対する理解を深めようという社会の動きが加速するのは、「うつ病がだれにとっても他人事ではなくて、回復の余地があるから」みんなで助け合おうという意見が生まれるのではないですか?

まったく回復しないとわかりきっている病であったら、ぼくたちうつ病者への社会的援助は、現状維持のための医療費の補助なんていうレベルにとどまっていたかもしれません。

 

つまり、
一生懸命うつ病と戦って、回復して、元気になっていった(ように見える)人たちがいるからこそ、
今、うつ真っただ中で苦しんでいるぼくたちが、社会的に回復を期待されながら、援助を受けることができている。

という考え方ができます。

 

多少強引な理屈ですが、そういうふうに思ってもみてください。

他人のうつ病が「本当に回復しているかどうか」なんて、なんの意味もない情報なので、気にしない方がいいです。

なにより、他人がうつから解放されることは喜ぶことで、否定することじゃあないです。

よかったね。くらいにおもって、見送りましょう。

あんまり他人の回復を否定することにこだわってしまうと、いつまでも自由になることができません。

 

さいごにひとつ、おはなしをプレゼントしておわかれです。

 

『捕らわれた自由な鳥』

たとえば、あなたは人間に捕らわれて、足かせを付けられた鳥だとします。

あなたのとなりに、同じように捕まったけれど、ぐうぜん足枷の外れた仲間の鳥がいます。

その仲間が飛び立とうとしているのを見て、嫉妬し、足を引っ張って、飛び立たせまいとします。

そうこうしているうちに、どちらとも疲れ切ってしまい。

翌朝、ぐったりしているあなたたち2羽の鳥を、人間が焼いて食ってしまいました。

鳥を捕まえにきた人間は、ぐったりと寝ている2羽の鳥を見て、驚いたそうです。

「おや、この2羽の鳥の足かせが、どちらともはずれてしまっているじゃあないか」

「でもなぜこの2羽は、どちらとも逃げずに寝こけているのだろう」